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ドキュメンタリーというジャンルがある。
実際に存在した、でもたぶんあまりありがちではない話を「これは事実ですから」と伝える本だ。僕はどちらかと言えばドキュメンタリーよりも小説を好む。事実を「どこにでもいつでもありうる真実ですから」と再構築した文章が好きだから。
しかしここでは、ドキュメンタリーの紹介。
事実を事実としてキッチリ伝えるのは難しいことだし、それがうまく成し遂げられている本は数少ないから。先の1冊がシリアスで後の1冊がおふざけだけど、優劣はない。どちらも見事な真実の再生記録である。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里
60年代のプラハと90年代をつなぐドキュメンタリー風エッセイ。
文句なしの名著。
物語は3本立て。
それぞれの主人公はギリシャ出身のリッツァ、ルーマニア出身のアーニャ、ユーゴ出身のヤースナ。副主人公は全て同じ、日本出身のマリ(著者)である。構成は同じで、
1:プラハでローティーンのマリとリッツァ(など)は友だちになる
2:2人はそれぞれの母国に戻り、音信が途絶える
3:90年代に2人は苦労して再会する
となる。これだけ読むと「それのどこが名著なんだよ?」と思う人が多いだろうけど、僕の説明能力の問題ということで許してほしい。
特殊な舞台設定を紹介するのも、僕の手には余る。
ものすごく単純化すれば、60年代のチェコスロバキアのソビエト学校(つまり外国人学校だ)に集まった子どもたちの物語である。様々な親の(あるいは歴史の)因縁をもった子女たちが、「プラハの春」をまたいで別れを余儀なくされる。東欧の民主化という面倒きわまりない背景になるので、やはり説明はこのあたりで切りあげる。なお、著者は共産党幹部の娘である。
僕が感動したのは、国籍や政治事情を超えて生きていこうとする主人公や著者の姿だ。
この手の本には珍しく、著者は変わってしまった友人たちへの不信を隠さない。あなたの考えはおかしいではないか、と面と向かって批判もする。でも、著者には
語りあうことできっとわかりあえる
という確証が(おそらく)ある。著者は独白する。
>私がヤースナに近付きたかったのは、ヤースナ自身の魅力もさることながら、もうひとつの理由が明らかにあった。世界の共産主義運動の中で、左派に位置すると見られる日本共産党員の娘である私が、最右翼に位置すると思われているユーゴスラビア共産主義者同盟員の娘のヤースナと仲良くなることで、論争と人間関係は別なのだということを、なんとしても自分と周囲に示したかった。ヤースナにその意思があったかどうかは分からないが、私には明確にそういう思いがあった。
本書は安い「友情物語」ではない。
人と人の関係を構築するにあたって大きな障害になるであろう思想や国籍や立場の違いを、なんとしても超えていこう(しかし超えられない面もあったと認める)とする人間論である。友情という誰にでも美しく描こうと思えばそうできるものを、著者は
その汚れた側面を暴くように
筆を進める。これだけの文章を書ける作家がすでに他界しているとは、何とも残念だ。
『平成ジャングル探検』鹿島茂
東京の12の街の「現状」がどうなっているか、どういう事情でそうなったかを語るルポ風エッセイ。
この著者らしい文章がたいへん面白かった。
著者は仏文学者。
今はフェリスかどこかの大学教授だったはず。僕はこの人の文章がけっこう好きで、新聞で記事を見かければ必ず読むし、このように文庫本を見つけても欠かさず買う(以前に読んだ本の感想文はこことこちら)。学者らしい理屈を振りかざしつつも、
凡庸なる世間を観る俗物の視点
が面白いからだ。鹿島先生、ハッキリ言って、あなたエロですよね?
2001年ごろの文章。
錦糸町とか大塚とか銀座とか大久保とか赤坂とか、ある意味でジャングルと言える地域に著者は編集者およびデータマン氏と乗りこむ。料亭に入ることもあれば韓国エステを体験することもあればストリップ鑑賞をすることも。しかし著者の視点は
この街がどのような歴史を踏まえて現在の「ジャングル」を形作ったのか
というところにある。ニュー新橋ビルを観察した一文「時間旅行者になろう」から。
>考えてもみてほしい。五十年前の人間が、時間旅行者となっていきなり、六本木通りと外苑東通りの交差点に現れたら、いったいどんな印象を持つことか。また、今から五十年後の社会から、新宿ゴールデン街に突如タイム・スリップしたら、どれほど驚くかを。われわれが「いまここ」に驚かないのは、「いまここ」が永遠に変化しないと思い込んでいるからだ。だが、確実に、時は移り、街は変わる。
大まかにいえば、1つの章は前半と後半に分かれる。
前半はその歴史の紹介であり(例:赤坂はなぜ料亭街になったのか?)、後半は突入ルポである。前半は勉強になり、後半は笑える。もちろん
街によってはエロ満載
なわけで、鹿島センセイはちゃんとそのあたりもリポートする。吉祥寺の近鉄裏に向かいピンサロに突入するとか、吉原の高級ソープに行くとか、歌舞伎町で「生殺しタッチパブ」体験とか。
しかし、センセイはいやしくも女子大の教授である。
そういうフーゾクを「先生」が体験するのは立場上マズイということで、センセイは肝心のところを我慢なさるのだ。代わりに、実録レポートは編集者およびデータマン氏が書くのである。
>「(前略)小生に付いたレイカちゃんは短大一年生であります。上半身のタッチはOKということでしたが、レイカちゃんはサービス精神旺盛でありまして、『私、おしりが感じちゃうの』というから驚きであります。試しにダウンタイムでパンティの中に手を差し込んでコチョコチョやってみましたところ、うっとりとした声で『ああ、気持ちいい』と喜んでくれたのであります。(中略〜別の女の子がやってきて)『別に触られるくらいなら、平気』だそうで、色白で形のいいオッパイをチュバチュバさせちゃうんであります(後略)」
コリャー、なにやっとるんじゃい、ワレは! なにがチュバチュバ、コチョコチョ、モミモミじゃい! こちとら蛇の生殺しで、据え膳を前にして、生唾飲み込んでおるのダド、いいかげんにせんかい、モウ!
どう考えても鹿島センセイが体験してお書きになったように思えますが。
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