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本は2種類ある。
1つは、外部情報として読むものだ。熱心に読むし、面白い(または下らない)とは思うものの、
これは僕とは関係ない世界の話だよな
と感じる本だ。けっして悪い意味ではない。誰にだって、好きではあるけれど「遠くから好きでいれば充分だ」と感じた異性がいるだろう。本にもそういうものがある。
いっぽうで、自分に引き付けて読む本がある。
正確には、読んでいるうちにその内容と自分の行動や思想を寄り添わせていく本のことだ。必ずしも共感するばかりではないにせよ、
これ、俺にも思い当たることがあるなあ
と感じる本だ。そういう3冊。
『超実践! ブログ革命』増田真樹
2006年1月25日以来の再読。
2005年発行なので劣化は仕方がないとして、新しい時代のウェブを作り上げていこうぜ、というアツいメッセージに満ちた本。
上記の日記で「後日にエッセイで」と書いたが、スルーしていた。
面白い本だなと思ったのは確かなのに、感想をどうまとめて良いものかと悩んでいたはずだ。他の本でも類例がたくさんあり、たぶん20冊くらい(注:読書感想文は2006年からスタート)書いていないはず。再読祭りを進めていけば、こうして感想文を新たに書くこともできるから許してください。
劣化はどうにもならない。
ウェブ関係の本は全てそうなる。日本人の半分がウェブを使い出したのはせいぜい今世紀初め(もう数年遅いかな? 僕は2000年から)だし、この5年くらいはそれほどでもないが、
2010年を軸とする10年間あたり
にかなり変わったから。たとえば第5章には
>ブログは今後三年間前後で、ウェブそのものという位置付けになるのは間違いない
とあるけれど、まあこういう結果なので(やや勇み足かなとは当時も思ったが、僕の感想が後出しジャンケン)。
いっぽうで、今でも生きているなと思う箇所も多かった。
ブログの特質について。
>ブログは、不完全なメディアです。未完成であり続けるメディアといってもいいでしょう。なぜならブログを運営しているのは個人であり、その人の日常をリアルタイムに綴るものだからです。ですから、ブログの記事をいくつか見ただけで、そのままその質と結びつけてしまうのは拙速です。時間軸やブロガーの視点、価値観を読み取る力が不可欠なのです。そういう意味で、ブログ時代の情報収集には膨大な情報の中から。必要な情報をかいつまんで収集し、複数の情報を組み合わせる能力が必要なのです。
これはブログに限らず言えること。
切り取るのではなく、時間の厚みその他を考慮して咀嚼する、ということですね。これがいまだにわかっていない
ネット情弱
が多い。ツイッターでやたらと炎上する(やっと法規制の議論が始まるという愚鈍さにも呆れるけど別件)のもこれが主因だろう。まあツイッターがネット情弱を増やしたとは言えるが(例:アメリカ元大統領の金髪じじい)これも別件。
僕も困惑または苦笑いしている。
いまだにここ『よびわる』にクレームをつけてくるお利口がいる。長くなるが列挙と感想を。
>書いたからにはそう思っているんだな!
→思ったことも、思ってないことも、読者様の反感を買うようなことも意図的に書くのが読ませるということです。よく釣れるなあ
>書いたからには事実なんだな!
→虚実が混ざるから読み物なんでしょうが。某夜に実は女を連れ込んでアヒアヒ言わせていたとしても(実話)、記述は「眠りが浅かった」ですよね
>これは俺・私に対する侮辱だ!
→あなたの固有名詞を挙げたこと、あります? すると「日本人のここが悪い」と書いたら、僕は僕を侮辱したことになるのかな。普遍化ってことです
>あなたの意見は間違っている!
それがどうかしたの。意見というのは対立するものだし、あなたの意見は僕にとって間違っているかもよ。でも、僕はあなたにそんな指摘はしません
>とにかく俺・私が不快なのだ、謝罪しろ!
読めなんて言ってないのに自分で読みに来て、不快って言われてもねえ。読まなければいいじゃん。不快なものを読みに来るんだから、本当は面白いんでしょw
と並べてみたが、これら5つは過去16年間に同じ趣旨のことを書いている。本書にも出てくるように、全て読めとは言わないけど、苦情を持ってくる前に数年くらいはほぼ毎日読んでくださいね・・・。
読書感想文に戻す。
本書はこういった2005年当時の(そして今の)ネット情弱に向けて、ウェブのメリットとデメリットを丁寧に説明している。繰り返すと、現代からは取り残されてしまった古い本であることは仕方がないとして、
ウェブに関する基礎知識が足りない人
(テクニカルな意味ではなく〜僕はそこが足りないが〜広義のネットリテラシーが不足している人)
が読めば価値があると思う。少なくとも、読めば僕のところなんかに下らない(かつ無意味な)苦情を持ってくる人は減るだろうなあ。いい本です、売りますが。
『再婚生活 私のうつ闘病日記』山本文緒
2003年から2006年にかけて書かれた日記エッセイ。
怖くなるところもたくさんあれ、引き込まれるように読んだ。
まずけなしておく。
書名がミスリーディング。これは新しい夫との再婚生活を描いたものではなく、
うつ病を患った著者の記録
である。もともと雑誌で「再婚生活」として連載が始まった事情はわかるにしても、書籍化するときは「私のうつ闘病日記」だけで充分だ。今のタイトルでは、再婚したからうつ病になったみたいじゃん。編集者のミスだ。
前半はうつ病が悪化していく過程。
日記は2年2カ月のブランクをはさみ、回復していく過程が描かれるのが後半。このブランクが、
この本(日記)を分割している
ことに驚いた。別人が書いたというほどではなくても、トーンがあまりにも異なる。この構成については「文庫版まえがき」に明示されていたのだが、それでも。
その2年余りのブランクについては、巻末に簡単な記録が残されている。
要約すれば、その間に著者は3回入院している。2回はうつ病のため、もう1回は胆のう炎のためだ。
>私は胆のうを摘出したことで、なんというか、大きな厄を落とした気持ちになりました。というのは、ひどい胆のう炎を起こしたのは私の不摂生が直接の原因です。大変に恥ずかしい話ですが、山のような胆石を作ってしまったのは長年の暴飲暴食によってです。
>後半の日記でも書いてありますが、私は長年不健康な生活を送ってきて、そのせいで体も心も病んでしまったのだと思います。不吉な色にただれて膨れた胆のうはその象徴です。私は心の底から恥じ入りました。
うーん確かに、暴飲暴食ってのは内臓の病気になる最高の危険要素だからねえ。ただ、それとうつ病は関係ないように思うけれど、それは僕が当事者でないから、だろうか。
うつ病の人や、その予備軍が読むのは危険かもしれない。
心の弱い人も、ちょっとキツイかも(著者はまえがきやあとがきでこれらを念押ししている)。僕自身はどうかというと、
どう転んでもうつ病になるとは思えない
タイプだと考えている。僕は絶望的と言ってもいいほどの悲観主義者である。だから逆説的に、物事の悪い面ばっかり見ているから、現実に悪い出来事にぶつかっても
ほらな、どうせこうなるに決まってるんだ
と考えられる。その意味では極めて強いメンタルを持っている。僕の知人・友人や、ひょっとしたら愛読者様も認めてくれるのではないか。
また一方で、こういうタイプが危ない。
よく言われるように、うつ病になりやすいのは几帳面で神経質で正義感が強く折り目正しいことを善とするような人である(らしい)。僕には正義感は欠落しているけれど、他は当てはまる。とすると、
僕はうつ病になる可能性を多く持っている
のかもしれない。といったことを考えながら一気に読んだ。読者を選ぶにしても、日記の形を借りたエッセイとしては1流作品の1つだと思う。
『女子と鉄道』酒井順子
著者がゆるいテツ子であることを自白したエッセイは2009年9月4日以来の再読。
いわゆるテツ本ではなく、タイトルの通り女子と鉄道の関係を語る軽いエッセイ。
サカイは、テツとしてはユルイ。
初乗車の路線で寝てしまうのがその代表例。そう書く僕も同じように眠ってしまったことが何度もあるので、かえって共感を覚える。
>その点鉄道は、私が何をしようと、いつでもどこかに「連れていって」くれます。初めて乗る線の始発駅に立って、まだ行ったことのない行き先表示を掲げた列車を目の前にすると、私はいつも
「この列車は、私を本当にここまで連れていってくれるのだなぁ、何だか夢みたいだなぁ」
と信じらないような気分になりますが(後略)
これを受けて、解説の原武史先生(政治学者にしてテツ)はこう書く。
>少なくとも、初めて乗る線で爆睡することなど、あり得ないと断言できる。それは鉄道好きということのほかに、どこかに不安や警戒心があるからではないか。(中略)もちろん、それは恐怖ではなく、むしろ未知なるものに対する期待につながっているわけだが、その気持ちを実際に確かめたいから、とりあえず起きて車窓に注目するわけだ。
2人してまったく逆のことを書いているわけだ。僕はサカイの身をゆだねたいという気持ちもわかるし、原先生の「実際に確かめたい」という意識もわかる。本文と解説が男女それぞれのテツ史観を書いているとも言えるので、どちらにも満足した。サカイの本は読み直したら捨てる方針だが、これは例外として残すことにした。
もちろん、外部情報としての本も好きだ。
知らない世界を(大まかではあったとしても)教えてくれるのは大きなメリットである。また同時に、内部情報というより、
今までの自分を内省させてくれる本
も好きだ。善悪でも優劣でもない。これからも、どちらのカテゴリーに属するものかな、と思いながら本を読んでいこう。
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