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レオナール・フジタ展 12月12日


  8時起床。
  よい1日だった。本来は直前講習前日でフンドシを締め直す日であったが、い ろいろあって今年はノンビリできることになった。人生の滋養というアイマイな 言葉を思い出しながら過ごすことができた。


  午前中はいつものように。
  まずはヒミツの花園。朝からよく晴れて、まだ今日も暖かい。布団は十分に干 せて、干せ過ぎて、お出かけしようという気分になれるくらいだった。家事とい うのは追求すればどこまでもホコリが出てくるものなので、たまには見て見ぬフ リをするのも大切なことかもしれない。

  整骨院とプール。
  どちらも空いていて快適。整骨院の先生と受付のお姉さんは、「今月に入って からヒマなのは不況のせいかなあ」なんて言ってたけれど、それはちょっと違う と思う。みんな忙しくて、この1週間くらいはけっこう暖かいから体に痛みが出 にくいのだと思う。

  昼飯は昭和具現系ラーメン店「K龍」でチャーハン。
  この店には冷暖房が一切ないから、店で食べるには今日くらいの「冬の暖かい 日」が限界。一人前では配達してくれないだろうし、今年は今日で最後かもしれ ない。いったん帰宅して布団を取り込んでからお出かけ。


  上野に着いた。
  目指すは『レオナール・フジタ展』。さいきんこの日記を読み始めた読者様は ご存知ないかもしれないが、僕は絵を観るのが趣味なのだ。展覧会は首都圏に限 って常にチェックしているし、しかし好みがあるからそう簡単には出かけない。 鑑賞眼はなくても、

「僕は絵を観るのが好きです」

と自信を持って言える。かなり古いエッセイでは「ここ」とか、同じく日記では 「ここ」とか。


  昔から観たいと思っていた画家の個展である。
  上記サイトから引用。

>日本人でありながらも、フランス人レオナール・フジタとしてその生涯を終え た数奇な異邦人、藤田嗣治。

彼の絵はどこかでたぶん観たことがある。記憶はあやふや。僕に何かひっかかる ところがあって、個展を待ちわびていた。今回は80年ぶりに公開されるものや、 未完成で初公開の作品もあると聞き及んでいて、非常に楽しみにしていたのだ。

  結論から書けば、とても良かった。
  しばらくぶりの公開である2つの作品は、行方不明になって70年くらい、 10年くらい前に発見されて、修復に6年かかったとか。巨大な絵であることもさ ることながら、

「うわー、こいつ、才能ある!」

と認めるしかない絵だった。本当に良い絵には、押し寄せるような感動がある。


  詳細などは、上記のサイトで確認してほしい。
  年数のところなどは違っているかも、だから。他の感想を箇条書きしておく。

・初期にはハッキリとモジリアニの影響があった

→これ、知らなかった。モジリアニ(モディリアーニという表記もある)と同じ 時間を生きていたんだね。

・未完作品はすごかった

→ライオンと馬が題材。他を圧倒するオーラがあった。これ1枚で1,400円のモト は取れた。

・晩年は宗教画がほとんど

→わかる人にはわかるんだろう。僕の趣味ではない。宗教画は背景知識がないと 難しいということもある。

・『レオナール』は改宗にともなう改名

→日本国籍を捨て、カトリック教の洗礼を受けたそうだ。レオナールはレオナル ド・ダ・ヴィンチにちなんだとか。僕としては「藤田嗣治」のほうが好きだが。


  上質の展覧会だった。
  混雑度はそこそこ。平日ならそれなりに落ちついて観ることができるはず。照 明が適切とは思えない箇所もあったが、古い絵だし、主観は入るしでしょうがな いかなあってところ。全国5箇所の巡回があるというのも素晴しい。残りは福岡 と仙台ということなので、お近くの人はぜひ試してください。


  上野の山で少しくつろいでから帰宅。
  展覧会で芸術に触発されたというわけではないにしろ、必死で本を読んだ。夕 飯前に感想文をまとめた。


  『孤独について』中島義道を読了。
  副題に「生きるのが困難な人々へ」とある、著者の半自伝的エッセイ。
  怒る哲学者である著者の真髄が見える好著。

  中島義道の本、または中島義道については、今まで何度か書いた(ヒマここな ど)。
  本を読むのはまだ4冊目くらいかもしれない。はじめて読んだときから面白い なと思っていて、読めば読むほど面白くなっていく。中島ほどではないにせよ僕 にも強い孤独癖があって共感する部分が多いからだ。

  著者が50歳を過ぎるまでの半生記と言っていいだろう。
  自動的に僕が今まで読んだ数冊と重複する内容が出てくるが、全く問題はない 。むしろ、総体としての中島義道を理解するには、この本から入るべきだったか もしれない。正直なところ、僕の中ではまだ中島義道を消化できないから、今日 は簡単な引用だけにしておく。第五章「孤独を楽しむ」から。

>人間嫌いの独身者は、世間相手に相当くたびれる戦いをたったひとりで続行し なければならない。まさに孤軍奮闘である。それはそれでいいのだけれど、スト レスのあまり孤独を楽しむ前に、内部から崩壊してしまうかもしれない。とした ら元も子もないであろう。だから、適度に摩擦のある夫婦・親子関係によって世 間とのあいだに1つクッションを設けておいたほうが、暴力的な世間の介入も避 けられ、ストレスも少なく、孤独は比較的容易に保たれるような気がするのであ る。

>何を書いても誰かを傷つける。それは私が責任を取るしかない、誰も傷つけな いように書くことはできない。私が綺麗ごとを語っているうちは誰も振り向いて くれないが、私が「血の言葉」を吐くと少なからぬ者が耳を傾けてくれる。(中 略)書くというやくざな営みをしながら、世間一般の幸福を追求するなどという のは虫がよすぎる。書くことによってほんの一握りの賛同者と膨大な批判者・無 関心者が生まれるのは必至のことである。それを丸ごと呑み込むとき、人は書き 続けられるようになる。

  真理だが、常識という鎖からすれば無茶な話でもある。
  僕はここまで考えというか、自分の身体を中島のいる場所に持っていくことは (まだ?)できない。一般的なオススメの基準としては、副題に興味を覚えるか どうか、でしょうね。読者をかなり選ぶ本と言ってもいいです。


  夕飯は地味に。
  メインは鳥ツクネと水菜の小鍋。鳥ひき肉をたくさん買うほどの経済的ゆとり はなく、

ひき肉:ネギの青い部分=6:4

くらいになった。ネギの白い部分は他の用途にとっておきたいから、苦肉の策で はある。酒とミリンで味付けして食べる。おいしい。


  良い休日だった。
  冒頭のように、例年なら多忙期( というほどでもなかったが)に入るところだが、まだ休日が13日も続く。1日で も多く、今日のような充実した休日をおくりたい。死にたくなるほど孤独だが、

どうせ死んでしまう

のだから、最後が来るまでがんばろう。フジタは、81歳まで生きた。
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