各ページのご案内はコチラ
Copyright (c) 2004
takeshi nobuhara All Rights Reserved.
|
|
|
レオナール・フジタ展 |
12月12日 |
|
8時起床。
よい1日だった。本来は直前講習前日でフンドシを締め直す日であったが、い
ろいろあって今年はノンビリできることになった。人生の滋養というアイマイな
言葉を思い出しながら過ごすことができた。
午前中はいつものように。
まずはヒミツの花園。朝からよく晴れて、まだ今日も暖かい。布団は十分に干
せて、干せ過ぎて、お出かけしようという気分になれるくらいだった。家事とい
うのは追求すればどこまでもホコリが出てくるものなので、たまには見て見ぬフ
リをするのも大切なことかもしれない。
整骨院とプール。
どちらも空いていて快適。整骨院の先生と受付のお姉さんは、「今月に入って
からヒマなのは不況のせいかなあ」なんて言ってたけれど、それはちょっと違う
と思う。みんな忙しくて、この1週間くらいはけっこう暖かいから体に痛みが出
にくいのだと思う。
昼飯は昭和具現系ラーメン店「K龍」でチャーハン。
この店には冷暖房が一切ないから、店で食べるには今日くらいの「冬の暖かい
日」が限界。一人前では配達してくれないだろうし、今年は今日で最後かもしれ
ない。いったん帰宅して布団を取り込んでからお出かけ。
上野に着いた。
目指すは『レオナール・フジタ展』。さいきんこの日記を読み始めた読者様は
ご存知ないかもしれないが、僕は絵を観るのが趣味なのだ。展覧会は首都圏に限
って常にチェックしているし、しかし好みがあるからそう簡単には出かけない。
鑑賞眼はなくても、
「僕は絵を観るのが好きです」
と自信を持って言える。かなり古いエッセイでは「ここ」とか、同じく日記では
「ここ」とか。
昔から観たいと思っていた画家の個展である。
上記サイトから引用。
>日本人でありながらも、フランス人レオナール・フジタとしてその生涯を終え
た数奇な異邦人、藤田嗣治。
彼の絵はどこかでたぶん観たことがある。記憶はあやふや。僕に何かひっかかる
ところがあって、個展を待ちわびていた。今回は80年ぶりに公開されるものや、
未完成で初公開の作品もあると聞き及んでいて、非常に楽しみにしていたのだ。
結論から書けば、とても良かった。
しばらくぶりの公開である2つの作品は、行方不明になって70年くらい、
10年くらい前に発見されて、修復に6年かかったとか。巨大な絵であることもさ
ることながら、
「うわー、こいつ、才能ある!」
と認めるしかない絵だった。本当に良い絵には、押し寄せるような感動がある。
詳細などは、上記のサイトで確認してほしい。
年数のところなどは違っているかも、だから。他の感想を箇条書きしておく。
・初期にはハッキリとモジリアニの影響があった
→これ、知らなかった。モジリアニ(モディリアーニという表記もある)と同じ
時間を生きていたんだね。
・未完作品はすごかった
→ライオンと馬が題材。他を圧倒するオーラがあった。これ1枚で1,400円のモト
は取れた。
・晩年は宗教画がほとんど
→わかる人にはわかるんだろう。僕の趣味ではない。宗教画は背景知識がないと
難しいということもある。
・『レオナール』は改宗にともなう改名
→日本国籍を捨て、カトリック教の洗礼を受けたそうだ。レオナールはレオナル
ド・ダ・ヴィンチにちなんだとか。僕としては「藤田嗣治」のほうが好きだが。
上質の展覧会だった。
混雑度はそこそこ。平日ならそれなりに落ちついて観ることができるはず。照
明が適切とは思えない箇所もあったが、古い絵だし、主観は入るしでしょうがな
いかなあってところ。全国5箇所の巡回があるというのも素晴しい。残りは福岡
と仙台ということなので、お近くの人はぜひ試してください。
上野の山で少しくつろいでから帰宅。
展覧会で芸術に触発されたというわけではないにしろ、必死で本を読んだ。夕
飯前に感想文をまとめた。
『孤独について』中島義道を読了。
副題に「生きるのが困難な人々へ」とある、著者の半自伝的エッセイ。
怒る哲学者である著者の真髄が見える好著。
中島義道の本、または中島義道については、今まで何度か書いた(ヒマここな
ど)。
本を読むのはまだ4冊目くらいかもしれない。はじめて読んだときから面白い
なと思っていて、読めば読むほど面白くなっていく。中島ほどではないにせよ僕
にも強い孤独癖があって共感する部分が多いからだ。
著者が50歳を過ぎるまでの半生記と言っていいだろう。
自動的に僕が今まで読んだ数冊と重複する内容が出てくるが、全く問題はない
。むしろ、総体としての中島義道を理解するには、この本から入るべきだったか
もしれない。正直なところ、僕の中ではまだ中島義道を消化できないから、今日
は簡単な引用だけにしておく。第五章「孤独を楽しむ」から。
>人間嫌いの独身者は、世間相手に相当くたびれる戦いをたったひとりで続行し
なければならない。まさに孤軍奮闘である。それはそれでいいのだけれど、スト
レスのあまり孤独を楽しむ前に、内部から崩壊してしまうかもしれない。とした
ら元も子もないであろう。だから、適度に摩擦のある夫婦・親子関係によって世
間とのあいだに1つクッションを設けておいたほうが、暴力的な世間の介入も避
けられ、ストレスも少なく、孤独は比較的容易に保たれるような気がするのであ
る。
>何を書いても誰かを傷つける。それは私が責任を取るしかない、誰も傷つけな
いように書くことはできない。私が綺麗ごとを語っているうちは誰も振り向いて
くれないが、私が「血の言葉」を吐くと少なからぬ者が耳を傾けてくれる。(中
略)書くというやくざな営みをしながら、世間一般の幸福を追求するなどという
のは虫がよすぎる。書くことによってほんの一握りの賛同者と膨大な批判者・無
関心者が生まれるのは必至のことである。それを丸ごと呑み込むとき、人は書き
続けられるようになる。
真理だが、常識という鎖からすれば無茶な話でもある。
僕はここまで考えというか、自分の身体を中島のいる場所に持っていくことは
(まだ?)できない。一般的なオススメの基準としては、副題に興味を覚えるか
どうか、でしょうね。読者をかなり選ぶ本と言ってもいいです。
夕飯は地味に。
メインは鳥ツクネと水菜の小鍋。鳥ひき肉をたくさん買うほどの経済的ゆとり
はなく、
ひき肉:ネギの青い部分=6:4
くらいになった。ネギの白い部分は他の用途にとっておきたいから、苦肉の策で
はある。酒とミリンで味付けして食べる。おいしい。
良い休日だった。
冒頭のように、例年なら多忙期(
というほどでもなかったが)に入るところだが、まだ休日が13日も続く。1日で
も多く、今日のような充実した休日をおくりたい。死にたくなるほど孤独だが、
どうせ死んでしまう
のだから、最後が来るまでがんばろう。フジタは、81歳まで生きた。 |
|