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考えてないんでしょ? 4月16日


  9時半起床。

・その長い書物から抜き出した部分は、オーケストラの指揮者がスコア(楽譜) を置く台のうえに載せられて、分詞構文と名付けられた。しかし、その分詞構文 からもう1つの分詞構文を抜き出せと人々は言うのだ。そんなことは可能なのだ ろうか?

という夢だった。日記には書かなかったが、この夢を今月に入って3回くらい見 ている。どうして分詞構文なんていう、受験でしか使わない言葉が出てくるのか 。知るかよってかんじですね(=^・^=) なんだこの顔文字は?


  いつものように過ごした。
  日本ソバの朝食を取り、スーパーのノリ弁当(まずかった)を1回目の昼食に とり、2回目にはラーメン(うまかった)を作って食べた。プールは今日も600メ ートルで、食材も買出しに行ったし、授業の準備もやった。HPの作業もしたし 、少しだけアイロンもかけたし、本も読んだ。ついでに、じゃないや授業もやっ た。「やる」じゃなくて「させて頂く」?


  『モリログ・アカデミィ9』森博嗣を読了。
  ミステリィ作家によるブログ日記の第9弾。
  由来などはヒマ「ここ」。ややマンネリかなと思わせる部分もあるが、それだけで は終わらない。さすが、というところ。

  作家生活の引退を発表。
  長篇小説が残り15作で、ウェブ日記も2009年末で完全に終了し、その後は消え ていくとのこと。小説は1年に3〜4冊書いているそうで(僕は1冊も読んでい ないし読む予定もない)、4年程度で完全引退の見込みらしい。作家が引退を事 前に発表するというのは初耳だけど、森博嗣らしいなあとも思える。エッセイや 日記が読めなくなるのは残念。

  「本当に考えたの?」というタイトルの日記。
  取材で「小説のタイトルはどうやって決めるのか」と質問され、200から300ほ ど考えてから選ぶようにしていると答えたらビックリされた、という話がマクラ 。

>学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案が思 いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案をいくつか見せなさい」と言うと、き ょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えまし たが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないもの を見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。

  いろいろ考えたと弁明する人に、いろいろ考えたものを見せてくれと頼むと、 せいぜい1つしか見せてもらえない、と森は言う。

>1つの案しかないのに、「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べ ない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。

  なかなか手厳しい。
  たしかにイロイロと考えてはいるのだけど、具体的に提示することができない のだなと僕は考えていた。でもこうして会話の実例を見せられてしまうと、「あ 、たしかにそんなに考えてなかったかも」と恥ずかしくなってしまう。

>多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。( 中略)否、たとえ考えようとするだけでも、100時間くらい考えようとしていれば 、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう 。きっと具体的な案が幾つか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたく らいで「考えた」なんて言わないでほしい。
  沢山の具体例を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用され なかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。

  確かに森の書く日記には、日常生活のヒントが落ちている。
  おかけで今日の授業のネタにもこの話題を利用できた(ホラ、持ち駒になった )。これで本シリーズの残りは4冊になった。あとピッタリ1年分である。今後 も楽しみ。


  昨日の続き。
  「自殺は痛い」発言に関連して(昨日の日記はここ)。

  そんな奴は勝手に死んでしまえ、とは一切思わない。
  自殺は原理として他殺であって、その刃がたとえ自分に向かおうとも許される ことではない。というのはツマラナイ上にありがちな正論だな。興味がないので 変えよう。

  どうせ自分は死んでしまう。
  だから逆説的に生きなければならない。ということで、

中島義道の本くらいちゃんと読め、このヒキコモリニート!

なんて決め付けちゃいかんわな(-_-;)


  中島義道の本に関する日記はヒマ「ここ」。
  いま自分で読んできたら、まだエッセイをアップしていなかった。死生観に関 する本って感想文が難しいんだよね。その本の一部を抜粋。

>ぼくはただ沈黙して、きみが死なないことを祈るだけだ。なぜか。なぜなら、 ぼくが悲しいから。そうだ、それだけなのかもしれない。それで十分ではないか 。君が死んだら、ぼくは悲しい。だから、死んではいけないのだ。

  ところで、この容疑者の親の映像が事件当時にTVによく出ていた。
  なんとなく、主観的な感想だけど、

「自分の子どものことなのに他人事」

みたいに話していたような気がしませんか? 僕の記憶違いか、何かのカンチガ イかも。容疑者にとっての「ぼく」がいなかったのかな。どこかにはいたはずだ と願いたい。少なくとも、僕は自分にもそういう誰かがいることを願って生きて いる。


  大まかに言えば、1人の人間の存在は、あまりに小さい。
  自分が生きている価値なんて、人類全体からすれば小さすぎるだろう。もっと ハッキリ言えば、だいたいの人間はクズである。もちろん僕もクズである。あな たもクズだ。誰もノーベルにはなれないし、イチローにもなれない。

生きていてもしょうがないのだ、

全人類的には。そんなことは、考える以前にわかるだろう。

  だから僕たちは考える。
  正確には、考える時間を稼ぐために、とりあえず生きる。思考停止しないこと だけが、僕たち凡人が生き続けるための唯一の術だ。どうせ最終的な解答はわか っている。やはり、生きていてもしょうがないのだという結論に至るだろう。も しできれば、その結論を避けることができないかと願って考える。だからどうし ても絶対的な時間が必要になる。

  あの容疑者は、そのへんをちゃんと考えたのだろうか?
  考えるための選択肢を、今までちゃんと用意してきたのだろうか。自分が殺害 することになる人が、どれほどの痛みを得るのか想像できなかったのだろうか。 たぶんできなかったんだろう。被害者にはお見舞い申しあげる。この話題はここ まで。


  Cクラスも連続2コマ授業。
  授業開始時点の空気が重くて澱んで(よどんで)いたので、前半をハイペース で駆け抜ける。ついていけない、ボサっとしている場合じゃないという空気にす るために、最初の40分は全力疾走。後半の40分でぐっとペースを落として余裕を 出させる。15分休憩。

  後半コマはぐっと良くなった。
  前半のスタート時は遅刻者ボロボロで落ち着かなかったけど、結果的に出席率 は100%を超えた。教壇に視線が向かってくる感じが生まれて、非常にラクになっ た。ややおとなしいというか暗い雰囲気なので、もう少し盛り上げていきたいと ころだ。


  授業後に質問の生徒様♀。
  下線部(3)は「しながら」でもいいのではないか、ということ。下線部だけ ならそれでもOKだが、やはり「理由」だと説明。前文のアルツハイマーの事情 を後ろで説明したのがその下線部だ、ということ。一般読者様には意味不明で失 礼。

  この手の質問は、するに限る。
  自分の考えと講師(僕だ)の考えのズレを埋めていくのが受講するということ で、そのためだけに高いお金を払っているからだ。毎年書いているように、「内 容を習って復習」なんて思っている奴が

予備校にとって最大の「お客さん」

である。講師に習うというのは、奴(下僕としての講師)の言うことを身につけ ることじゃない。奴と自分(生徒様)を比較して、どこを何を奴から盗むか考え ることだ。これは非常に重要なことだ。考えれば、きっとわかるはず。考えたか ら、きっとわかったはず。


  今日で新年度の1週間が完全にスタートした。
  元気で良いのはLクラス、少し改善されたのがCクラス、まだ重いのがQクラ ス、やや暗雲立ちこめ気味がXクラス、手探りが続くのが2年生のHクラス、っ てとこでしょうか。まだまだこれから。

  帰宅して夕食。
  鶏手羽元の昆布煮。旨いが、この料理ならスペアリブ(手羽中)が勝るか。手 羽元は味が濃いので、昆布のダシに勝ちすぎる。手羽元はシチューが原則かもし れない。手羽先は塩焼きが一番で煮物が二番か。スペアリブは煮物が圧倒的に良 い。辛みタレで焼く手もあるかな。

  考えて考えて、どこかにたどり着く、こともある
  今日のCクラスの生徒様には非常に良い復習になる日記だと自讃する。誰もほ めてくれないんだもん\(◎o◎)/! なんだよこの顔文字は?


追記:エッセイ292「『断腸亭日乗・下』」をアップしました。
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