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三十路の最後の1日 12月31日
  6時半起床。
  0時就寝だったから、まだ睡眠不足かもと思ったが眠れなくなったため。早起 きがからだに染み付いているのかも。大みそかはやることがたくさんあるし、ま あいいか。

  新聞の連載小説を20年ぶりくらいに通読した。
  毎日新聞(朝刊)に連載されていたもので、だいたい10ヶ月に渡った。1回く らいは読み損ねたかもしれないけれど、偉大な達成である。

  ちなみに、新聞小説を通読したのは人生で2回目。
  日曜版のそれは除外して、である(石田衣良の小説:3月29日の日記を参照) 。では人生で初めて通読したのは何だったかというと、椎名誠の『銀座のカラス 』。それは実家で読んだので朝日新聞だった。20年ぶりはアバウト。 ということで感想文に移る。


  『下流の宴』林真理子を読了。
  自分は少し良い中流家庭を築いたつもりだったが、気がつけば下流の子どもを 育てていた、というお話。
  全体に中途半端という印象。

  林真理子だから、それなりに読ませるんだろうなあと期待した。
  タイトルからして下流を小馬鹿にすることは必定だし、だいたい新聞連載とい う時点で中流の読者を想定しているし、またそのあたりの「自分は下流じゃない 」という読者の自尊心に訴えることを書くのではないかと思ったわけだ。

  期待は半分当たり、というくらい。
  ストーリー自体は滑稽と哀れの中間くらいで、まずまずの満足度を得た。さす がに旨いなと思わせたのはストーリー展開の速さで、

「このヘンの話、飽きたな」

と思ったころに場面がスッと変わり新展開にうつる。直木賞作家だけあって(で なくてもプロってそうなんだけど)、読者をじゅうぶんに意識しているな、とい うことが僕にも意識できた。

  ただし、たとえば単行本などで通読すれば「ふうん」で終わってしまう程度だ ろう。
  事実上の1日1話で、1日が原稿用紙3〜4枚の新聞連載だからやむをえない とも言える。たしか、

「新聞連載のコツは山を1つと半分」

というはずだ。読ませどころを1つ、次の日に読みたくなる前フリを1つ、とい ったところである。この小説は、「半分」の山が少し中途半端。文庫になったら買おうかな、どうしようかな。


  朝はHPの作業。
  年の変わる更新なので大規模な作業。ほとんどは過去ログに「2010年」のリン クをつけるもの。リンク切れがないように注意しているけれど、きっとどこかに あるだろう。気がついた人はお知らせください。80枚くらいのファイルを書き換 え、新しいエッセイも書いた。


  大規模小掃除(でいいんだっけ?)も今日で一段落。
  全てのフローリングを雑巾で拭いた。すこし汗をかいた。

  家の床は全てフローリング。
  和室はないし、カーペットを敷いている箇所もほとんどない。こうするとホコ リが目立つので、掃除機を頻繁にかけるようになる。ただ、それだけに

「キレイになった」と思い込んでいる

ようで、こうしてゾウキンがけをすると汚れていたことに気がつく。床に室内の 什器がハッキリと反射するようになるのだ。

  これは入居時にコーティングをしたため。
  床に何かの塗料を塗って、床面を保護すること(詳しくはここのエッセイ)。 6〜7年はもつという触れ込みで、2年半の今の時点ではイツワリなし。ゾウキ ンで拭いたらピカピカになった。ただ、

キズから床を守るという面はどうよ?

というのは本音。たとえばケータイくらいの大きさ・重さのものを1メートルく らいの高さから落とすと、ちゃんとキズになる。それでも、コーティングしない よりはずっといいのだろうか。


  外出して昼食。
  立ち食いソバで年越しソバ。この3年くらいは家で作っていたが(打つんじゃ ないですよ)、今年は気分で外食に。ちゃんとした蕎麦屋さんは混雑しているか ら、これでいい。

  そのままスーパーへ。
  完全なお正月モードで、何もかもが高い。とくに野菜。

レタス1玉350円。

しびれますな。青山の紀伊国屋みたいだ。調教が行き届いていて、三が日まで日 持ちするのかもしれない。今のは春樹ネタです。

  移動して電器店でデジカメ写真の印刷。
  先月の旅行ぶん。同行した家族にあげるため。10枚選択したら「600円」と出た 。げぇ。こんな高いもんだっけこれ。いつから値上がりしたんだよ。印刷を待っ ていると、僕が座っていたのは

2Lサイズ専用機

だと気がついた。なんでこんなもんがあるんだよ。隣の台(銀玉かよw)を見れ ばLサイズで1枚30円。もう「OKボタン」を押してしまったのでどうにもなら ず。世間では、「デジカメ印刷って言えば2Lよね」みたいな傾向があるんだろ うか。


  帰宅してヒミツの花園。
  朝から晴れたがお昼過ぎから雲が出た。昨晩まで強かった南風が北風に変わっ たせいだろう。気温も低かった。布団と洗濯物がじゅうぶんに干せなかったのは 不満で、後者は浴室乾燥機で乾かした。

室内に洗濯物がぶら下がった新年

を迎えるのもイヤだし。新年らしいことをする趣味はないけど、たまには例外が あってもいいじゃないか、と。

  昼寝は1時間。
  T作戦も1時間。読書もした。読書感想文が1日の日記に2つあるのは申し訳 ないのだが、そういう人生だったので。


  『醜い日本の私』中島義道を読了。
  賞賛される日本文化の醜さを指摘するエッセイ。
  著者らしい軽快な罵詈雑言は良いが、内容の深まりは今ひとつ。

  街の景観の醜さ。
  余分な街頭放送の醜さ。マニュアル化された話し方を徹底する店員の醜さ。日 本人が「特に気にかけない」様々な事象に立腹した著者が、それらの醜さを訴え る。および、その訴えがどれだけ虚しいかを嘆く。要約となっている「あとがき 」から引用。

>(前略)各人は自分の感受性を大部分の人の感受性に合わせようと必死になる 。これは、自分の感受性を大切にしたい者にとっては恐ろしい責め苦である。一 見平和なわが国で、こうした感受性の魔女裁判が日々いや刻々人々を脅かしてい ることを指摘したい。自分が排斥されないために、ある者を「魔女」に仕立て上 げる卑劣な行為が不断に進行していることを指摘したい。

  最終章で何かの結論が出るかと思ったが、最後までハッキリしない。
  著者の言い分は、結論を求めるものでもなく、これだけ言葉を尽してもわかっ てもらえないんだろうなあ、という嘆きだろうか。そう思った時点で本書を読み 終えると、椎名誠が解説を書いていた。引用。

>結局今後もこの本で述べられている「マイノリティにとって腹立たしいもの」 はそれを「正しいと思っているマジョリティ」に絶対に打ち勝つことはできない のだ、ということを納得させられて、いまいましくページを閉じなければいけな い。

僕の感想とシーナの解説がシンクロしていることに笑ってしまった。が、やはり 本書は何かの一石になれど、大きな岩にはなれないのかもなあ、という読後感で した。


  風呂掃除をしてから夕食。
  残飯整理的な鍋物。3日前のヒラメ刺は塩と酢でしめておいた。正月にありが ちな高級カマボコは1本800円だった。おそろしく旨かった。どうせ明日の元旦は 暴飲暴食だろうと控えめに食べた。

  さあ、ついに三十路も歩き終えた。
  今日と明日で激変するわけではないが、時間の区切りというのは人生にとって 必要なものなんだろう(大げさだ)。この『よびわる』を始める前には、

ここまで長生きする予定も腹積もりもなかった

にしても、ちゃんとここまで来てしまうのが人生だ(またも大げさだ)。とにか く生きてこられたことに、僕をとりまく全ての人々に、もちろん読者の皆様にも 感謝したい。

良いお年をお迎えください。


追記:エッセイ327「そろそろ2009年も終わり2」をアップしました。
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