予備校講師でわるかったな!





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14年間にさよなら 1月31日
  6時前起床。
  急ぎ朝風呂。授業衣装はためらわずスーツ。1秒も迷わない。紺色のダブルは デパートのイージーオーダー。シャツはギーブス&ホークスで、水色と赤のスト ライプ。ネクタイはフェラガモの赤。細かい模様が入っている。金色のカフスと タイピンは、銀座和光のもの。


  以上の描写でわかった人もいるだろう。
  そうね、1999〜2000年ごろ、

市進の広告に僕が出ていたときの衣装

である。本当である。京成の吊り広告とか、今はなくなった新聞折り込みチラシ である。講師紹介用だかなんだかで撮影したものなので、肖像権などはなかった 。今の時代だとありえないが、当時はそんなものだし、今では依頼されるわけが ないからどうでもいい。


  朝食はマック。
  サービスの悪いこの店舗を使うのも今日が最後。いつもより気持ち早く25分前 に校舎に入り、授業はふつうに。2コマ目はムリに長文を2題扱って、4分延長 で失敗。意識しなくても、

どこかで感情に乱れがあった

のかもしれない。多少の失敗はいくつになってもある。減っては、いくけれど。


  受講生の半分は、昨年度からの持ち上がりだった。
  2008年3月11日が出会いの日だった。その日に在籍していた生徒様の半分が今 日まで残ったことになる。彼らとは2年近いつきあいだったので、感無量の一歩 手前くらい。長くて短かったなと思う。

  今だからバラす。
  今年のFクラスを担当することは、2007年度の末に内定していた。詳しくは書 けないが、2008年度に僕が2年生の最上位クラスを担当する時点で、決まってい たことである。

2年間かけて早慶の実績を出そう

という戦略だった。実は、2008年4月5日の日記に明言してある。おおっぴらに は書けないことだったので、そういうトーンになった。複数年単位でものごとを 考えない予備校は、まもなく(以下略)。


  たぶん、彼ら全員が早慶には確実に受かると思う。
  あくまで感覚的な予想だ。参考までに、受講生の

センター英語(筆記)の平均は176.2点

だった。2年前からの目標は、180点を少し越えるというものだったから、ちょっ と足りなかったかも。2年生からの継続生は、もちろん180点は越えているし、直 接のリンクはなくても、早慶にメドは立つかなあくらいに考えている。あくまで 目安だ。

  もっとも、第1志望に受からないと意味がない。
  英語に関してはまず大丈夫だし、英語ができる受験生はその他の科目もできる ことが多い(その逆はたくさんある)。ただ、僕はもう市川には来ないから、結 果を確認できないかもしれない。


  新規参入の生徒様たちはどうだろう?
  正直、細かいところの抜けが目立ったと思う。もちろん多くのフォローをして きたが、非受験学年の勉強って大事だなと痛感した。受験学年になって初耳とい う内容は、

受験生本人の骨身に浸みるまで時間がかかる

ということである。くれぐれも、大学を受験する人は、3年生になる前に予備校 に通って欲しい。これは商売トークだが(おいおいおい)、事実でもある。

  今まで、能力的に受かるはずの生徒様を落としてきた僕の言うことである。
  それくらい、予定調和で受からせることは難しいのだ。卑下ではなく、入試の 現実である。どんなにポテンシャルが高くても、下らないミスで落ちる、そして 結果が全てというのが、入試である。それをできるだけ回避したいというのが、 僕の本音だ。

  Fクラスだけあって、内容一致のような「読めばわかるだろ」モノでは間違え ない。
  ただ、そんなのはハイレベルでは当然であり、それだけに細かい知識問題のミ スが痛い。たとえば、規則で解けるアクセント問題のミスでマイナス1点、

それって致命傷

と言ってもいいと思う。そのあたりに、この3ヶ月あたりは注意を払って授業を 進めてきた。みんな、がんばれ。


  授業後に、数人の生徒様と雑談。
  泣き出してしまう女の子も。そうだよなあ、2年間と言えば、英語を習う6年 間の3分の1にあたるから、たまったものもあるかも。多感かつ頭脳の働きが上 がっていく人生の季節だから、

僕があたえた影響力も大きかった

かもしれない。良し悪しはべつにして、僕の人生観や世界観の1部を受け取った はず。別に英語には限らないことで、

教えることは人生を伝えること

と言っても良い。そういうのが好きだから僕は教える仕事を選んでいるのだし、 また同時に、教わるというのはそういう楽しみを見つけていく過程でもある。

  合否報告を楽しみにしている。
  上記のように、もうリアル社会で会うチャンスはないので、受験が終わってか らメールでお願いしたい。アドレスは「このサイトのご案内」にあります。


  帰ろうとしたら、ちょっと変わったことがあった。
  顔だけ知っているバイト君(♂)が近寄ってきて、授業で余したプリントをく れと言うのだ。意味がわからないので事情を質問すると、以下の通り。

>自分は先生(僕)に習ったこともないのだが、あるとき先生のプリントを読ん で勇気づけられた。就職活動で落ち込んでいるときだったのだ。すごく励みにな った。今は大学4年生で、この春に就職する(からバイトを辞める)。最後に記 念として先生のプリントを読みたいのですが・・・。

  はぁ(・_・;)
  生徒様に配るプリントには、もちろん受験に関係する話しか書いていない。ご 存知のように精神論はまったくと言っていいほどない。だから、どうして「就職 活動の励みに」なったのかは不明である。狐につままれたような話だが、年度最後に配るプリントを1枚差し上げた。

  これもまた、文章の力ということだろうか。
  名文だとか、そういう下らないことを言っているのではない。読み手は、

自分の文脈と書き手の文脈を照らしあわせていく

ことに喜びを覚えるのだ。授業で配るものはもちろんそうだけど、この『よびわ る』もできる限りその希望に見合うように書いている。書いているのは僕だし、 読んでいるのは君だけど、

君もまた書いているのだ

ということである。巨大すぎる人生という文脈を、誰かと共有するために文章は 書かれるし、読まれる。愛のないところには、読まれるべき文章も書かれるべき 文章もない。


  これで市進市川校とはお別れ。
  市進で働き始めてから14年で、来年度、この校舎での担当授業はない。言い換 えれば、僕にとっては

市進で働くことは市川校で授業をすること

だったから、なかなか感慨深い。例はいくらでもあるだろうが、同じ予備校の同 じ校舎に14年連続で出講するというのは、それほどたくさんあることでもないだ ろう(レアと言えば言いすぎ)。

  正直なところ、僕は競争に負けた。
  どの校舎で授業をするかというのは、取り立てて問題となることでもないけれ ど、なにぶん初年度から続けてきたわけだから、個人的には敗北・敗退・撤去・ 寂寥である。とても悔しい。いつかはこうなるだろうと思っていたとしても、負 けたなんだなぁと素直に思う。


  この『よびわる』が始まった時点で考えてみる。
  2004年度、英語のクラスは全部で11クラスあった(全体で4レベルは今と同じ )。来年、2010年度は全部で4クラスである。単純化すれば、のべ11人必要だっ た講師は、4人で足りるようになった。ここで僕が書きたい、または書くべきこ とは一点である。

11人中、5位までしか行けなかった。

もちろん極論であるけれど、気分としてはそうだ。僕は、負けた。

  結果は結果であり、それが全てだ、と僕はよく言っている。
  受験生に向けてそう言っているし、これからも言うだろう。偏差値が70だって 、落ちてしまえば意味はない。自分なりに頑張ったって、世間は結果でしか他人 を評価しない。こういう考え方は、僕自身にも当てはまる。

そうだ、俺は負けたんだ。

その気持ちを忘れないようにして、これからも努力を続けていこうと思う。


  帰宅途中で買い物。
  夜に来客があるため、大騒ぎになった。簡単な昼飯を食べて、下ごしらえをす れば午後3時。急ぎこの日記をここまで書いた。今日も雲が多いながら晴れて、 やはり昼間は暖かかった。


  来客は家族とその連れ(♀)。
  毎年恒例で、昨年は5月2日だった。招いて、夕飯でもてなす。では今年もそ のメニュー

1:冷菜盛り合わせ
→キュウリと白髪ネギと鳥ササミの辛味あえ、ゆで卵のしょう油漬け、大根のピ クルス、茹で空豆、高野豆腐の煮付け

2:温菜の小鉢
→ベーコンとジャガイモとピーマンの炒め物

3:メインその2
→刺身(シャコ、ウニ、サーモン)

4:メインその2
→タラチリ鍋

5:メインその3
→茹で牛肉とシメジをサラダ風に

6:箸休め
→超高級パスタのサラダ、鯛ちくわのキュウリ詰め

7:デザート

  わりに普通ですかね。
  仕事のことが気にかかっていて、メニューを充分に練ることができなかった。 この続きは、2月2日付けの日記で。


  やはり、長い日記になった。
  市川校にいた14年間のことをよくよく考えていた。校舎を出て、帰宅途中の電 車では、いつものように本を読まなかった。窓越しに、薄い雲のかかった空をず っと見ていた。ちくしょう、負けたくないのに、負けちゃったよ。

  明日2月1日付け日記は、サイトのリニューアル。
  『よびわる』歴は7年目を迎えることになる。新しい1年のはじまりだ。


>But no, he would not give in. Turning sharply, he walked towards the city's gold phosphorescence. His fists were shut, his mouth set fast. He would not take that direction, to the darkeness, to follow her. He walked towards the faintly humming, glowing town, quickly.

(しかし、彼に負けるつもりはない。身を翻して、光あふれる街のほうへと歩いていく。拳を握り締め、口を堅く結ぶ。彼女を追って、あちら側へと、暗闇へと向かうつもりは一切ない。かすかに音を立て、夜空を明るく照らす街のほうへと、彼は足早に歩いていった。)

(D.H.ロレンス『息子と恋人』)
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