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けっこうな問題があると思う。
このエッセイのことであり、僕の人格のことでもある。それでも、いかなる問題があったとし
ても、書かなければいけないと考えている。こういうことを書きたくて、この『よびわる』を始
めたからだ。ある種の反感を持たれても、嘲笑されても、書かなくてはいけない。
城南予備校に、出戻りすることになった。
いったん解雇されて、ふたたび雇用されることになった。自発的に辞めた予備校に戻る講師の
例はいくつかあるが(間違っても個人名は書くまいw)、
クビになった予備校に舞い戻るのは史上初の快挙
であろう。少なくとも僕は寡聞にしてそんな話を聞いたことはない。常識的にも心情的にも「そ
れ、どうよ?」という気もするけれど。
イキサツをご存じない読者様のほうが多いだろう。
ひょっとしてご存じの読者様っていうかヒマな奴、じゃないじゃない、愛読者様のためにもリ
ビューしておこう。以下のリンクは全て別窓で開きます。
城南予備校に雇用されたのは1999年度。
1日2コマで浪人生だけ担当した。どういうわけか本部の覚えが良くて、その夏に接待しても
らったりして、2000年度から浪人2+現役生3=1日5コマを担当した。月曜のみ、2限から、
横浜校のみという状態が2004年度まで続いた。『よびわる』が始まった年度である。
2005年度に、浪人部を自主的に撤退した。
いろいろ考えるところがあったから。その経緯はエッセイ「現役王宣言!」に書いた。いま読
み返してみると、自分から仕事量を減らした最初で最後の記述になる。結果的な善悪はともかく
として、なるほどこの頃はこう考えていたのだな、と自分でも思う。わりに無責任な感想だけど
。
2005年度から2006年度まで同じ状態が続いた。
現役生のみ1日3コマである。2003年度からは現役でも浪人でも最上位クラスを担当していた
。横浜校の、とくに現役生は早慶志望が多く、自分の授業スタイルにはマッチすると感じていた
。
そして、突然の解雇通知。
日記「8年間、ありがとう」は関係者に衝撃と爆笑を与えたことだろう(たぶん)。この日記に
ある「城南予備校の俺的実情」シリーズは完成しなかった。なかなかエゲつなくて良い内容にな
ったけれど、業界を去ってから公開したほうが良さそう、と判断した。
2006年度の最後の授業は2007年1月29日。
「城南ラストバトル!」という件名の日記は、なかなか良いデキだと思う。「中間のない社会
」はすでに現実のものになりつつある。半年後に新居にうつることが決まっていた旧居で深夜に
書いた。校舎と横浜駅の途中にかかる橋のこと、歌うように授業をしたことをよく覚えている。
同日にアップしたのがエッセイ「クッキーは人生の箱。」
ちょうど『よびわる』が3年目を終えようとするころで、文体が今のものに近くなっている。
ある意味では、「よびわる黎明期の終わり」になる文章だと思われる。好きなクッキーは、まだ
きっと残っているはずだと確信して書いた。
以上が、雇用開始から回顧にいたる年表である。
年表とは言わないか、じゃあ履歴書? それもちょっと違うな。今の自分があるのは過去の自
分があるからであって、過去のないところに現在はない。未来は存在しているように見えるだけ
である。
さて、やっと本題に入る。
ある予備校をいちどクビになった講師は、その予備校に再雇用されることがあるのか、という
のは本題ではない。だって僕が実現したのだから、事実はここにある。読者様の興味は、
1:いかにして再雇用に至ることができたのか
2:おめえの心情的にどうなんだよ
3:条件とか、どうなるんだろう
という3点にあるだろう。とくに1なんかは必死で熟読する関係者が多いんじゃないかなあ。言
っとくけど、フツーありえないですから、落ち目の予備校講師斬り、残念!
どこまで書くか、という問題は残る。
1は、再オファーがあったということ。
僕の連絡先を、城南予備校は知らない。解雇した半年後に、僕は転居したからだ。実は源泉徴
収関係のことで、その1年後くらいに城南の経理に連絡をつけたことはあるけれど(どこかでこ
の愚痴を書いたはずだ)、そんなものは事務的に処理される。もう4年くらい前のことだから、
記録が残っているはずもない。
再オファーは、人を介して行われた。
僕は基本的に城南関係者とは親しくしてこなかったが、もちろん一部には例外があった。ある
組織と縁が切れれば、その組織の人間とも縁を切るのが普通だ、というのは僕の狭量な生き方の
例である。言い換えれば、
組織とは無関係に付き合える人間としか親しくならない
ようにしている。「有力講師」だの「有力幹部」だのにゴマを摺っている予備校講師などを見る
とヘドが出るなあ(余計なことを書くなよw)。肩書きなんかと付き合って何が嬉しいんだオイ
こら。
2は、とくに気にしない。
もちろんクビになったことは遺憾だ。ほんの数年とはいえ、文法系であったとはいえ、現役も
浪人も最上位クラスを担当していたのだ。東大や京大の合格に貢献したとはとても言えないにし
ても、僕の思考システムは早稲田や慶應(←こっちは意外だし自分でも不思議なのだが)にマッ
チするものだ。アンケートは必ずしも良くなかったが、無形のものを提供できていたはずだ。今
も昔も変わらない
城南の花形校舎の1つである横浜校
での「実績」である。クビになる謂われは、ない。
ただ、クビにされたこと自体は納得している。
上記リンクのどれかに書いたように、僕が不要になったのではなく、僕のポストが不要になっ
たのだろう。この業界に生きている以上、そのぶん勝手なことはさせて貰うが、理不尽なことが
あるのはパラドクシカルに当然だと思っている。
3は、そうねえ・・・。
まあ書くしかない。時給に関して言えば、×割ちょっと下がる提示だった。即座に回し蹴りを
しても良かったが、まあ僕も大人なので(そうかあ?)快諾した。以前の雇用時にも「城南は安
すぎる」と思っていたし思っているから、むしろ誤差の範囲だ。どっちにしても、生計の足しに
しかならない。
以下の話は城南に限らない。
この業界、時給が安すぎる。システムの構築をやり直さないと、有望な人材が入ってこない。
僕の世代からすでに始まっていたことなれど、こんなに安くてかつ不安定では、
どんどん廃れていくだけ
ではないか。「本部の覚えが良くて週15コマ、業界3年目で年収400万超えました院卒28歳、でも
同世代よりはいいかな」という程度では、使い捨てるだけで知恵がたまっていかないではないか
。教育は、いかに蓄積させるかが勝負の世界である。
いくつかの付記は必要だ。
こうなるための伏線は本部筋から伺った。何人かの本部関係者からの要望があったそうだ。
>信原のバカはどうしようもない奴だけど、その上学歴は低いし人格は最低だし生徒に人気もな
いけれど、教える力だけはなくもない
>だけど呼び戻そうにもどうしようもなくね?
>何かのラインがあるかもしれないし、そもそも奴にその気があるか確かめねばならない
といったようなこと。上記のような人間関係があったから「つながった」話だし、彼(ら)には
感謝したい。本音である。
『よびわる』に関する話題もあった。
ここで公言しておくと、『よびわる』は僕のレイオフ(= lay off =一時解雇)には無関係だっ
た。もちろん良く思っていない人はいたかもしれないが、不問にするという話になった。僕自身
は、
批判は書いても建設的でない悪口は書かない
という方針を貫いているし、それはこれからも変わらない。多少の抑制はかかるだろうし、かけ
ているが(このエッセイとかw)、書きたいことはバンバン書く。それで何かがあるなら、諦め
るだけのことだ。モノ言えば唇が寒い時代は、昔のものになったと信じている。
充分に放言した。
気を悪くされた人がいれば(いるだろうな)申し訳ない。何があろうと、僕は城南予備校に復
活した。まずは、2012年度の雇用確保に向けて頑張るだけである。
その先に何が待っていようが、もう1度クビになろうが。
城南予備校に戻れたことに感謝したい。尽力してくれた皆さまにも、読者様にも。ありがとう。戻ってこられて、嬉しい。
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